ヨーロッパでは数少ない英語圏の国、マルタ共和国。地中海のほぼ中央に位置していて、きれいな海に囲まれたリゾート感あふれる素敵な国です。近年人気の留学地でもあります!
マルタの公用語はマルタ語と英語です。
なぜマルタ共和国が英語を公用語とするようになったのかご存じですか?
それにはマルタ共和国の歴史に大きく関係があるんです。
マルタ共和国の歴史の押さえておきたいポイント
マルタの歴史は紀元前5000年頃、イタリアのシチリア島から農民が渡来したことから始まります。その500年後、紀元前4500年ごろには世界遺産に登録もされている巨石神殿群が建てられます。
この巨石神殿群はマルタ島とゴゾ島で発見されていて人類最古の石造建築物なんです。ピラミッドよりも古い建造物なんですよ!1980年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
その後、紀元前1000年ごろからは地中海沿岸の国々からの攻撃と支配の歴史が始まります。
特に紀元後870年にアラブ人が侵略し、イスラム帝国の支配下となってからは数百年単位という短い期間にノルマン人やスペインに支配されます。
オスマン帝国を4か月で撃退したマルタ騎士団
マルタ騎士団は元々、当時盛んだった十字軍の一翼を担いイスラム諸国から聖地防衛の戦いにあたった宗教騎士団聖ヨハネ騎士団でした。
1522年に聖ヨハネ騎士団は本拠地としていたロドス島をオスマン帝国軍との6か月間に渡る包囲戦の末に奪われてしまいます。
その後、新たな本拠地として与えられたのがマルタ島とマルタ共和国を構成する主要な島の1つであるゴゾ島です。
オスマン帝国は1565年にマルタへの包囲戦を仕掛けてきますが、結果はマルタ騎士団が4か月で撃退します。
この当時の騎士団長のジャン・ド・ヴァレットの名前にちなみ、現在の首都がヴァレッタと名付けられたそうです。
フランスの支配とマルタ騎士団の終焉
1798年にナポレオンが船の補給と偽り上陸します。ここからフランスの支配が始まります。
マルタ騎士団の中にもフランス人がいたりこの辺りの歴史もとても複雑です。しかし、フランスの統治方法はマルタの人たちの反発を生みイギリスやナポリ、ポルトガルの支援を受けてフランス守備隊を包囲しまた。
包囲戦は2年間も続きましたが、1800年にフランス守備隊はイギリス軍に降伏しました。こうしてマルタはイギリスの保護国となり、164年間その支配下に置かれることになります。
イギリスの支配下にあり英語が使われていたのはマルタの長い歴史の中でも200年弱のことなんですね。ですが、現在はマルタでは英語は公用語として使われています。
そのためマルタ共和国で話される英語はブリティッシュアクセントが近いようです。またイタリアに近いこともあり、イタリア訛りも少しあるそうですよ!
アクセントの訛りを気にする方も多いようですが、様々なアクセントを聞きとれるようになることが英語習得においては重要ですよ!
\ 留学のご相談はこちらから /