自ら行動する主体性が身に付き、自分の世界、視野が広がった。
プロフィール
大友真理 さん 東洋大学文学部哲学学科を卒業 2018年4月に総合印刷会社 東洋紙業株式会社に入社 営業部門に所属し、新規開拓などを行っている。 ―みなさまと共に次の未来を考える― 総合印刷会社 東洋紙業株式会社 |
続きまして、2度目のドイツへの交換留学についてお聞かせください。
1回目の短期留学で経験した悔しい思いが2回目の交換留学への決意に繋がった【第1弾】
- スタッフ
- 二回目の留学の決意や準備は大変だったと思いますが、いかがでしたか。
- 大友さん
- 一回目の留学後の悔しさから、二回目の留学に行く決意は固かったので、3年次の秋に留学することを決めてからは、準備に充てる時間は十分でした。一回目の留学後、大学の英語レッスン(SCAT)に入るなど英語力の強化にも努め、留学1カ月前にはドイツ語スクールにも通いました。
- スタッフ
- 二回目の留学の一日の過ごし方を教えていただけますか。
- 大友さん
- 半期は語学学校で過ごし、後半は哲学の講義に出席するなど興味ある授業に参加していました。半期の語学学校は午前中から13時ころまで授業があり、それ以外の時間帯は、大学の一般授業に参加していました。またタンデム制度という語学を教え合う制度を活用し、日本語学校へ行き、日本語を教える代わりとして、ドイツ語を教えてもらいました。後半は講義出席しながら、タンデム制度を活用してドイツ語習得に努めました。
- スタッフ
- 二回目の留学では友人がかなり増えたのではないでしょうか。
- 大友さん
- はい。二回目の留学は留学生が数多く住む大学寮(食事なし、シャワー・トイレ、キッチン有)で生活し、食事は自炊をしていました。和食や各国の料理を作りあって、外国人と和気あいあいと過ごしていました。ドイツ人との交流はタンデム制度を通じて広がっていきました。
- スタッフ
- 現地での生活費はどの程度かかりましたか。
- 大友さん
- 留学中の東洋大学の1年間の学費相当額は大学の奨学金で賄うことができました。マールベルク大学の授業料は無料でしたので、設備費程度と生活費が自己負担でした。1年間で150万円弱かかりました。
- スタッフ
- 留学中の休日はどのように過ごされていましたか。
- 大友さん
- 一回目の留学では、週末は一人で他の町に観光に鉄道を使って出かけていました。その時に思い出に残った訪問地はローテンブルク(クリスマスグッズが売っていたり、石畳の美しい街)でした。二回目の留学では、語学習得をメインに学期中は学内で過ごし、夏・冬の長期休暇中に、ドイツ国内を中心に訪問して、ドイツ以外にはフランスに行きました。ドレスデン(戦争で一度なくなった聖堂を修復)、ケルンは非常に印象に残る町でした。
- スタッフ
- 留学中、ホームシックになりましたか?
- 大友さん
- 一回目は短期でしたので、ホームシックにかかるほどではなく、寧ろ日本への連絡を控えていた。ただ、一人で行く海外で、特に現地到着して一週間は全く日本と違う環境やホストファミリーと馴染めるかなど、不安でいっぱいでした。二回目の留学時には、自ら積極的に声をかけて友人を作るように心がけていたので、あまりそのようなホームシックや不安を感じることはありませんでした。
- スタッフ
- 現地の友達とは今でも連絡を取り合っていますか。
- 大友さん
- メールやFacebookを通じて、いまだに連絡を取っており、そのうちの何人かの友達の国に旅行するなどして、お互いの交流は続いています。
- スタッフ
- 二回目の留学語に、ドイツ語レベルはどの程度上がりましたか。
- 大友さん
- ドイツ語検定2級に合格しています。
- スタッフ
- 留学に行く前と帰国後で、自分自身に何か変わったと思いますか。
- 大友さん
- 主体性が身につきましたね。自ら行動したり、自ら話しかけたりすることをせざるを得ない環境で、積極性が培われました。また、ドイツ国内でいろんな街に旅に出かけたように、ドイツで会った友人(中国、ベトナム、インドネシアなど20数か国)を訪ねるなど旅をするようにもなりました。ベトナムの友人を訪ねたら、毎日水上マーケットが行われていて実際の生活がどういうものか見ることができて感動しました。ドイツ留学を通じて自分の世界、視野も広がりました。
- スタッフ
- 留学で出会った人の育った国に行き、そこを見ることでバックグラウンドなどをみることができ、多くの学びがありますよね。そのような行動力を持っている大友さんに、帰国後の就職活動についてお聞かせいただきたいと思います。
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