穴場の留学スポット紹介!オーストラリアでご紹介したオーストラリア、アデレード。この都市の名前は、ある王妃の名を取ってつけられたそうです。アデレードの名前の由縁となった王室夫妻についての、わくわくするエピソードをEnglish College of Adelaideのスタッフの方が教えてくださいました。
アデレード王妃から名づけられた都市Adelaide
アデレード(Adelaide)はドイツ語でアーデルハイト(Adelheid: 貴婦人)を意味しています。
ウィリアム・ライト大佐が高台から一望し設計した、アデレード市。
四方が公園に囲まれ、整然と区画整備された様は、アデレードの名の由来となったアデレード王妃を彷彿とさせます。
市内中心にあるアデレードタウンホールに一歩足を踏み入れると、アデレード王妃の銅像がにこやかに迎え入れてくれます。
アデレード市の由来、アデレード王妃って、どんな人だったのでしょうか。
今年は200周年記念日
アデレード王妃は、ドイツのサクス=マイニンゲン公の長女として生まれ、フルネームはアデレード・オブ・サクス=マイニンゲン。イギリス国王ウィリアム4世に嫁ぎました。
実は7月11日はアデレード公女とウィリアム4世の結婚記念日。1818年7月11日に二人は結婚しました。そう、今年2018年は二人の結婚200年目に当たるのです。
50代子持ちの自由な遊び人×20代の気品あふれるお嬢様。27歳の年の差婚
「俺のところに嫁に来るなんて可哀そうなお嬢さんだ」
と言ったウィリアム4世。
それもそのはず、ウィリアムは50代でひょっこり王位継承権のお鉢がまわってくるまで、気ままな三男坊として自由を謳歌。おまけに10人もの子持ちでした。
国王の三男として生まれたウィリアムは、13歳の時に海軍に入隊。海軍少将にまでなったのに、25歳で退役してしまいます。
その後、舞台女優と20年余り夫婦同然に暮らし、10人の庶子が誕生。46歳の時に女優とは別れますが、故あって10人の子どもを引き取りました。
一方、そんな彼に嫁いできたアデレード。11歳の時に父親を亡くし、兄の摂政となった母親と、かつてやはり摂政を務めた祖母という、芯のしっかりした強い女性に囲まれ育ちます。しとやかで、針仕事ができ、敬虔な由緒正しいお嬢様でした。
呑兵衛で粗野な言動も目立つ自由な遊び人ウィリアムと、献身的で愛情溢れるしっかり者のアデレード。意外にも、幸せな結婚生活となりました。
アデレードは政治に精通した祖母と母の影響か、寛大で偏見に囚われない、進歩的な一面を持っていたようですね。
国民から愛された"年の差カップル"
上品なお嬢様と結婚。飲酒量も減り公的な場所での粗野な言動も控えるようになったウィリアムは1830年に64歳で国王となり、その妻アデレードは38歳にしてファースト・レディの地位に納まりました。
Installation view Queen Adelaide, Art Gallery of South Australia, 2018, photo: Saul Steed
ウィリアム4世の7年という短い治世中、イギリス初の選挙制度改革 (Reform Act 1832)、奴隷労働の廃止、工場法による9歳未満の労働を禁止などの人道的な改革がなされます。海軍にいたことから「船乗り王」の異名もとるウィリアムは名君として活躍するのです。
王妃アデレードもまた、彼女の時間の多くをチャリティー、ボランティアに費やし、収入の大部分を恵まれない人々に寄付しました。
ひょいと街に出て庶民に声をかけるウィリアム国王、気さくで質素倹約を好み庶民的な面を持つ国王夫妻は、国民からは人気がありました。貴族からは'Buffoon'(下品、下劣)と呼ばれ、眉をひそめられていたようです。
不幸なことに国王夫妻の子どもたちは皆若くして亡くなってしまいましたが、アデレードはウィリアムの10人の連れ子たちにも惜しみない愛情を注ぎました。後のヴィクトリア女王となるウィリアムの姪のことも、王家の一員としてかわいがり、優しく愛しみ、ヴィクトリア女王もこの伯夫妻を敬愛してやまなかったようです。
1836年オーストラリアにアデレード誕生
1836年、新しくできた南オーストラリアの植民地の名前に、愛する妻の名"アデレード"にしてはどうかと提案したのは国王ウィリアム4世でした。
Installation view Queen Adelaide, Art Gallery of South Australia, 2018, photo: Saul Steed
アデレード妃の没後170年経ってもその生き様が語られるなんて、ウィリアム4世の愛妻への粋な計らいですね。
金曜日の午後にアデレードを散策しよう
ECAアデレード校では、金曜日の午後はExcursionの日。
いろいろな所にクラスメートと一緒に行き、ライト大佐によって設計されたコンパクトで散策しやすい街アデレードを楽しむことができます。
アデレードタウンホールで、名物のガイドさんからアデレード妃やウィリアム王についてのエピソードを聞いたり、アデレード妃の作った作品やライト大佐の設計図を見たり。1830年代にタイムスリップしたように思うかもしれませんよ。
▼ECAキャンペーン キャンペーン終了日:2018年10月31日(金) |
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<書いた人>
Hikari Takechi(ヒカリ・タケチ)
南オーストラリア州アデレードにあるELICOS(語学学校)English College of Adelaideの責任者。あったかくて心のある学校をモットーにベテランの教師陣、バイリンガルのスタッフと共に日々邁進。人とのつながりを大切にしながらコミュニケーション力と英語力をアップさせることに重点を置いています!