
兵庫県北部の中国山地の峰が続く朝来市に築かれた竹田城は、天空の城、日本のマチュピチュと呼ばれています。城下から遥か高く見上げる山の頂に城郭が築かれ、円山川から湧く川霧により霞むことがあるのです。

マチュピチュはインカの帝都クスコから北西に約114キロ隔たるジャングルの奥深くに水築かれました。建設年代は定かではありませんが、インカ帝国第9第皇帝のパチャクティが、1450年頃に着手したと考えられています。標高約2940メートルのマチュピチュ山と約2690メートルのワイナピチュ山を結ぶ尾根に跨り、遺跡の標高差は400メートルを超えます。尾根に広がる都市部分だけでも5平方キロを超える巨大な天空都市なのです。

ペルーレイルのマチュピチュ駅近くのターミナルからシャトルバスに乗ると、ウルバンバ川沿いの急カーブを何度も折り返しながら約25分で遺跡の入口に着きます。

ゲートを潜って崖沿いの道を約200メートル進むと、斜面に段々畑のアンデネスが整然と並びます。狭い土地を利用して収穫したトウモロコシやジャガイモを貯蔵するコルカが立ち並ぶ頂上には農地管理人の住居跡が残っています。



農地の西側にマチュピチュに暮らした人々の市街地が広がります。皇帝の部屋、王女の宮殿、太陽の神殿、陸墓、16の水汲み場を中心として、インカの卓越した石組技術を駆使した精巧な屋舎が隙間なく並んでいます。集落の端の石切り場には、これからの新しい建造物を作るために加工される石が数多く残されています。




市街地から南西にせり上がる南西の斜面は神聖なエリアです。聖なる広場、主神殿、三つの窓の神殿、神官の館が設けられています。最も高い位置にインティワタナが設けられています。大きな岩を切り出したインティワタナの4つの角は東西南北の方角を指し、日時計として用いられたものと考えられています。


神殿が建つエリアからメイン広場を挟んで北側は技術者の居住区として整備されました。中には3つの入口の家や2階建ての家などの特徴をもつ住居もあります。段上の農業試験場では、高地でより多くの収穫が得られるように品種改良などの研究が行われていました。東の端にはコンドルの神殿と呼ばれるユニークな建造物があります。コンドルの顔や羽を思わせる石で構成された空間は牢獄として使われたと推定されることもあります。


都市としての機能を全て備えた敷地には約750人の人々が暮らしていたと見積もられています。ただ一年を通して日常生活を送る集落ではなく、インカの王族や貴族の避暑を兼ねた冬の離宮であったと推定されているのです。ツアーガイドと遺跡を巡れば、2時間半前後で一回りすることができます。マチュピチュは、1983年にユネスコの世界遺産に登録されました。
【データ】
施設名:マチュピチュ Machu Picchu
URL:http://www.peru-machu-picchu.com/
開館時間:6:00〜17:00
休み:無休