
日本の寺院や神社は、新年には参詣者で賑わいますが、平日は人影まばらなことが多いようです。神仏に祈りを奉げることが日常化していないのでしょう。これに対してイスラム教の信者は、毎日5回メッカの方角に向かって頭を下げます。
イスラム教国家は西南アジアに集中しています。アジアからヨーロッパに股をかけるトルコは、法的には信教の自由となっていますが、国民の大半はイスラム教を信じています。ボスポラス海峡を航行する船の上からイスタンブルの市街を眺めると視界からモスクの姿が消えることはありません。



イスタンブルはトルコ最大の都市として発展を続けていますが、2つの宗教が絡み合い激動の歴史を歩みました。古代からローマ帝国の領土となり395年の東西分裂後は、東ローマ帝国の首都となりコンスタンティノープルと呼ばれていました。5世紀に西ローマ帝国の滅亡後もキリスト教国家を維持しましたが、1453年にオスマン・トルコのメフメト2世の奇襲を受け首都は壊滅しました。

オスマン・トルコはイスラム教による国家を目指し、東ローマ帝国時代のキリスト教会を次々にモスクに改築しました。コンスタンティノープル最大のキリスト教会アヤソフィアもモスクとなりました。さらに1616年にはオスマン・トルコ第14代スルタンのアフメト1世によって、アヤソフィアの正面に重厚なスルタン・アフメット・ジャーミィが建造されました。

設計したのはオスマン・トルコ屈指の建築家、ミマール・スィナンの弟子のメフメット・アーです。ミマール・スィナンは巨大なドームと、鉛筆のような細長いミナレットをモスクの建築に定着させ、独自の建築様式を確立しました。メフメット・アーも彼の様式を受け継いで7年の歳月をかけてスルタン・アフメット・ジャーミィを完成しました。
スルタン・アフメット・ジャーミィの外観上の最大の特徴は、お椀をひっくり返したように三重のドームが積層されていることです。高さ約43メートルの頂上部に直径約23メートルの最も大きなドームが空に浮かび、その下部に小さなドームが構成されています。4つの副ドームと30の小ドームが末広がりのような構造を作り上げています。親亀を最上部に小亀、孫亀が支えていますが安定感は損なわれません。
聖堂を中心としてミナレットが6本聳え立っています。通常のモスクでは2基で、世界最大のメッカのモスクには現在7基建っています。これはスルタン・アフメット・ジャーミィ建造の際にアフメット1世が、イスタンブルにメッカ以上のミナレットをもつモスクを建てることにためらいを覚え、メッカに1基献納したためと伝わっています。

広場から敷地に足を踏み入れると、中央に聖水を湛える泉が設置された中庭です。男性の信者たちが祈りの前にこの泉で手足を清めるのです。周囲の回廊にはアーチ状の柱が独特の幾何学模様を作っています。本堂の入口ではシャンプーのようなピンクの液体を手の平で受け取ります。コロンヤと呼ばれる香り水を頭や衣服につけるのです。


本堂の壁には一面にトプカプ宮殿と同じようにイズニック製のタイルが張られています。その数は2万にも達します。青い装飾タイルや白地に青の色調の外観からブルーモスクとも呼ばれています。

スルタン・アフメット・ジャーミィを足り囲むエリアは、1985年にイスタンブル歴史地域としてユネスコ世界遺産に登録されました。
【データ】
施設名:スルタン・アフメット・ジャーミィ Sultanahmet Camii
住所:Sultanahmet Mah At Meydani Cad No: 7, İstanbul 34122
Tel:90-212-458-4466
URL:http://www.sultanahmetcamii.org/
開館時間:1日5回のお祈りの時間以外
注意事項:モスク内での肌の露出禁止