
日本のニュースに最も頻繁に登場する国はアメリカです。現代の国際社会をパワフルにリードしていますが、ロシアもアジアからヨーロッパにまたがる大国であり、社会の動きに目を離せない国と言えるでしょう。ロシアの動向が報道される際に、テレビなどに映し出されるのは赤の広場、クレムリンです。
クレムリンはモスクワ市の中心部を流れるモスクワ川の北に面し、敷地は変形五角形の形をしています。クレムリンの北東の赤壁沿いの長さ約695メートル、幅130メートル前後の空間が赤の広場です。旧ソ連時代には大規模な軍事パレードやメーデーが開かれていました。15世紀末にイワン3世が設けた市場トルグを起源とする広場が、様々な行事に利用されているのです。

広場の端から先を眺めると目が霞んでしまいますが、クレムリンの他にも特徴的な建造物が敷地を取り囲んでいます。北東の面に接するのは百貨店のグムです。宮殿と見間違えそうな外観ですが、中はアーケードの商店街となっています。北西に見える白色の塔を備えた赤レンガ造りの建物は国立歴史博物館です。南東端にはロシア正教会、聖ワシリー寺院のねぎ坊主が見えます。中央の約47メートルの丸屋根を8本のねぎが巻きつくように伸びているかのようです。幾何学的なバランス感覚には欠けますが、意外な安定感を滲ませています。


そしてクレムリンの外壁の中央にはレーニン廟が設けられています。1917年のロシア革命をリードし、ロマノフ朝を倒し社会主義による国家を建設しましたが1991年12月、ソ連は崩壊してしまいました。歴史的な評価は別にして訪れる人の姿が絶えることはありません。


レーニンをはじめロシア、ソ連の指導者が政務を行ったのがクレムリンです。ロシア語のクレムリは城塞を意味します。モスクワ川のほとりに1156年に木造の砦が築かれたことに始まります。1366年には第4代モスクワ大公ドミトリイ・ドンスコイが石造りに改築し、15世紀後半にはイワン3世がルネサンス様式を取り入れた再建を行い、ほぼ現在の威容に整えられました。
城壁の総延長は2キロを超え、各所に20の城門を構えています。聖ワシリー寺院に向き合うのがスパスカヤ塔です。クレムリンと赤の広場を結ぶ重要な役割を担っています。塔の下にあるスパスキエ門から入ると、大統領官邸と大統領府に繋がるのです。敷地の奥のクレムリン大宮殿も含め、ロシア政治の中枢機関クレムリンに集中しています。

宮殿の西面はソボルナヤ広場に接しています。クレムリンの中で最も大きな広場はロシア正教会の施設が取り囲んでいるため、大聖堂広場と呼ばれることもあります。宮殿の脇にはブラゴヴェシチェンスキー聖堂、その正面にアルハンゲリスキー大聖堂、北側にはウスペンスキー大聖堂が並び立ちます。ロシア帝国の歴代皇帝が戴冠式を行ったのがウスペンスキー大聖堂、遺体が安置されているのがアルハンゲリスキー大聖堂です。どの聖堂も内部はロシア正教の特徴的な聖像画イコンや聖障イコノスタスで埋め尽くされています。

ソボルナヤ広場から北上した敷地内には、大砲の王様、鐘の王様などのオブジェがあります。大砲の王様がスパカヤ塔に通じる道に設置されていた当時は世界最大の口径を誇っていました。鐘の王様は18世紀の鋳造技術を駆使して作られた高さ約6メートル、重さ約200トンで世界最大の鐘です。


モスクワのクレムリンと赤の広場は1990年にユネスコの世界遺産に登録されています。
【データ】
クレムリンへのアクセス
地下鉄ボロヴィツカヤBorovitskaya駅、またはビブリオチェーカ・イーメニ・レーニナBiblioteka imeni Lenina駅より徒歩約4分
赤の広場へのアクセス
地下鉄アホートヌイ・リャトOkhotny Ryad駅、または革命広場Ploshchad Revolyutsii駅より徒歩約2分