コーンウォリス要塞の歴史 「コーンウォリス要塞」は、1786年にイギリス東インド会社のフランシス・ライトが、ケダ州の王より奪ったペナン島に最初に上陸した場所に築いた要塞だ。当時のイギリスが海峡植民地をオランダやフランス、海賊などから防衛する上で、マラッカ海峡に面した海上交通の要衝にあるペナン島のコーンウォリス要塞は、マラッカのサンチャゴ砦、シンガポールのセントーサ島と並んで重要な拠点であった。 コーンウォリス要塞が現在のような形になったのが1810年。それまでは、木造の要塞だった。重厚な白亜の建造物「シティーホール」と緑に覆われたコタマラ公園は挟んだ向かいに位置する。目の前がマラッカ海峡で、この砦はペナン島がマラッカ海峡に向かって突き出した部分の先端にあり、マラッカ海峡を監視するには絶好の位置にあることがわかる。レンガ造りの壁に囲まれた砦からは、マラッカ海峡に向けられた大砲が突き出している。 コーンウォリス要塞内部の様子 当時の要塞への入口が、現在でもそのまま使われている。入口で入場料を支払い、内部に入ってみよう。 入口の正面に立っているのは、キャプテン・フランシス・ライトの銅像である。 コーンウォリス要塞は、四隅が突出した特殊な形をした四角形している。中心部には、ステージと客室が整備され、イベントなどを行える公園となっている。突出部分や壁に沿って、当時の建物などが残されている。 コーンウォリス要塞の中には、全部で17の大砲が残されている。3番目の写真は、有名なスリランバイという大砲。1603年という製造年とオランダ東インド会社の紋章が刻まれている。設置されている看板によると、様々な人の手を渡ったこの大砲は、最終的には1941年に日本人の手によってこの場所に設置されたという。地元の人々の間には、不妊の女性がこの大砲に花をささげると妊娠するという俗信がある。 この白い建物は、当時弾薬庫として使われていた。ペナン州の国旗がはためいている。 中心部に整備された、客席とステージ。 北西の突出部分に、当時チャペルとして使われていた建物が残されている。ペナンの歴史や文化を紹介する映像が流れ、ジョージタウン内の建物や街並みの模型が展示されている。 チャペルの横には、留置場として使われていた建物も残っている。記念撮影用に、顔出し看板が設置されている。 あまり派手な観光地ではないが、ペナンの歴史を語る上ではとても重要な場所である。あまり、日光を遮る場所がないので、涼しい午前中に行くことをお勧めする。要塞の壁の上から、大砲スリランバイ越しに見るマラッカ海峡は、なかなかの絶景である。≪コーンウォリス要塞≫住所:Padang Kota Lama, 10200 Penang, Malaysia電話番号:+60 04-2610262 営業時間:8時30分~19時定休日:無休入場料:大人20リンギット 子供10リンギット 阿部 吾郎24年間旅行会社に勤務した後、2013年に独立し「トラベルガイド株式会社」を設立。「人がそこに行きたくなる写真」をテーマに国内外で写真撮影を行っている。同社が運営するマレーシアの旅行情報サイト、トラベルガイド・マレーシアにも自身で撮影した写真が多数使われている。その他、旅行写真素材の販売、旅行記事の執筆、旅行会社へのコンサルティングなどを手掛る。最近はマレーシアに年4~5回程度渡航。その他、旅行会社時代の経験も含め得意な方面は、台湾、香港、マカオ、シンガポール、アイスランドなど。