
日本で最も高い山は富士山です。標高3776メートルの山頂は、一年中雪で覆われています。広々とした裾野を底辺とする二等辺三角形には安定感が感じられ、頂点からの山の輪郭はなだらかな曲線を描いています。うっとりと眺めることはあっても、山中で暮らしたいと思う人はあまりいないでしょう。坂道が多く酸素濃度も低い高地は、人々の生活に適した場所といえません。ところが、南米大陸を南北に走るアンデス山脈の中にインカの時代に帝都が建設されました。海抜3400メートルのクスコには現在でも約30万人の人々が暮らすペルーでも屈指の都市です。


13世紀からインカは、クスコを4つのエリアに分け機能的に都市設計を行いました。インカ帝国は当時、タワンティンスウユと呼ばれていました。ケチュア語で、タワンティンは4、スウユは州を意味します。首都クスコの4つのエリアから北西、北東、南西、南東の4つのスウユにインカ道などの道路網を築き上げたのです。

インカは、「カミソリの刃一枚通さない」高度な石組技術で、神殿など数々の建造物を作りました。ところが1534年3月23日、スペインからクスコに到着したピサロは、インカ帝国の建造物を次々に破壊していきました。インカの痕跡を抹消しようとしても、洗練された都市構造は全く新たな展開図で置き換えられることはありませんでした。帝都の構図を残し、いったん破壊した石壁は基礎として都市改造を行ったのです。

クスコの中心から市街に血流を流しているのがアルマス広場です。中央で水しぶきをあげる噴水の上には、インカ帝国第9代皇帝のパチャクテが精悍な姿で立っています。帝国はパチャクテの時代に領土を飛躍的に拡大したのです。最盛期にはペルー、ボリビア、エクアドルの大半のエリア、さらにチリ、アルゼンチン、コロンビアの一角にまでを治めました。


帝国がいかに強大であっても万代まで続くことはなく、16世紀にスペインから来たピサロによってあっけなく滅んでしまいました。スペイン人は太陽を唯一の神として敬う民にキリスト教の布教を始めたのです。クスコの心臓部にあるアルマス広場に面して、2つの巨大な教会を建造しました。
公園の北東面は帝国時代には文明の創造者ビラコチャを祀る神殿あったのですが、ここにクスコ最大の教会カテドラルが造営されました。1550年に始まった建築工事が終わったのは約100年後だったようです。祭壇を作るためにボリビア南部でスペイン人が鉱山開発をしたポトシから300トンの銀が運ばれてきました。屋根の上に設けられた鐘は南米最大で、鐘の響きは40キロ先まで届くといわれています。

公園の南東は第11代インカのワイナ・カパックがアマ・カンチャ宮殿を構えていたのですが、ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会に姿を変えました。左右対称の2つの鐘楼を設けたファサードが人々を招き入れています。背後のドーム状の屋根にはカラフルなタイルが鏤められています。

クスコはスペイン人によって街の景観を変えながらも、そこかしこにインカの文化の名残を留めています。クロスカルチャーに包まれるクスコ市街は、1983年に世界遺産に登録されました。


【データ】
施設名:カテドラル Catedral
住所:Plaza de Armas, Cusco
開館時間:10:00〜18:00
休み:無休
施設名:ラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会 Iglesia de la Compania de Jesus
住所:Plaza de Armas, Cusco
開館時間:9:00〜11:45,14:00〜17:30
休み:土・日曜日