日本の繁華街には必ずパチンコ店がネオンを輝かせていますが、海外で見かけることはほとんどありません。台湾や韓国のように法律で禁じられている国もあります。逆に日本にはないカジノは、欧米をはじめ世界各国にあります。数多くのカジノが営業するマカオは、東洋のラスベガスと呼ばれることがあります。 マカオでカジノが密集しているのは半島の南部、南湾湖に面する限られた区域です。市民が昔ながらの生活を続ける下町、大航海時代の波を背に受けてポルトガル人が築いた街並などが、モザイク状のカオスを作り上げています。 世界で最も人口密度の高い半島に暮らす人々が絶え間なく行き交うのは、セナド広場を中心とするエリアです。1784年に市政庁として建てられた白亜の建物、民政総署の前の広場は白色とグレーの石畳が波模様を描いています。中央の噴水は16世紀から18世紀に建てられた洋館が取り囲まれています。セナド広場から北東の聖ポール天主堂跡に向かう道の両側は、あらゆる種類の店が列をなしています。 聖ポール天主堂跡に突き当たる大三巴街は、あたかも聖堂に人々を導く参道のようです。幅数メートルのなだらかな坂道に足を踏み入れると、人の流れに身を任せるしかありません。左右の店の人のかけ声も勇ましく、エネルギーがはち切れんばかりです。マカオの中でも最も活気が満ち溢れる通りです。 大三巴街の北の端から68段の石の階段に繋がります。その先に門のように平べったい石造りの構造物が見えます。聖ポール天主堂は、聖アントニオ教会の付属礼拝堂として1640年に建造されました。東洋で最も大きく美しい教会として広く知られるようになりました。ところが、1835年に火事によってほとんどが焼失し、現在はファサードと階段のみの姿となりました。 ファサードの南面には、イタリアのイエズス会士カルロ・スピノラのもとで緻密な彫刻が施されました。地元の職人ばかりでなく日本を追放されたキリスト教徒も石を彫ったと伝わります。横に並ぶ4人の聖職者は今にも、せり出してきそうです。上の層の中央ではマリアが両手を合わせています。マリアを挟む両側の彫刻は少しユニークです。右側には7つの龍の頭をも悪魔を足で踏みつける聖母、左側には人を悪に誘う悪魔が描かれているのです。 ファサードを背にして南方に視線を移すと、マカオの市街地の光景が広がります。グランド・リスボアなど近代的で巨大なカジノも、くっきりと目に捉えることができます。 聖ポール天主堂跡の東側は海抜52メートルの丘です。1626年にイエズス会修道士によって要塞、モンテの砦が築かれました。海に向かって22門の大砲が並ぶ小高い丘は、マカオの四方を見下ろすことができる絶好の展望台となっています。 セナド広場から聖ポール天主堂跡を含め、双方を繋ぐエリアは2005年にマカオ歴史地区として世界遺産に登録されました。 【データ】施設名: セナド広場 住所:議事亭前地アクセス:フェリーターミナルよりバスで約20分施設名:聖ポール天主堂跡 大三巴牌坊住所:大三巴街アクセス:セナド広場より徒歩約7分 大林 等メーカ勤務の出張とプライベート旅行で渡航した国の数は49になります。各国での 異文化体験は数知れません。カルチャーショックを起爆剤に、各国の歴史や文化に 深く切り込むスタンスを崩すことなく持ち続けています。観光情報から社会、習 慣、宗教、グルメ、アート、民族芸能まで、ジャンルの垣根を超えた海外での経験 を、各種の雑誌やWebサイトなどで発信し続けています。Facebook: