
子どもが最初に触れる文学は童話でしょう。シンプルなストーリーではあっても、その中に社会性や人間性が織り込まれています。世界的に知られるアンデルセンはデンマークに産まれ、『マッチ売りの少女』、『醜いアヒルの子』、『人魚姫』など数々の名作を残しました。コペンハーゲン港の北東ランゲルニエの波打ち際の岩の上に腰掛けた姿の人魚姫が海面を眺めています。

古くはシェラン島の東部の小さな漁村であったコペンハーゲンが、大きな発展を始めたのは12世紀半ばのことです。1167年にはアブサロン大主教によってクリスチャンスボー城が建造されました。ヨーロッパで最長の伝統をもつデンマーク王室がここで政務を執り続けましたが、18世紀末に火災によって焼失したため王宮はアメリエンボー城に移されました。現在ではクリスチャンスボー城に国会や最高裁判所が置かれ、アメリエンボー城には女王マルグレーテ2世が暮らしています。


2つの王宮のほぼ中心の緑あふれる公園が、コペンハーゲンに暮らす人々にとって最大の憩いの場です。王様の新広場の意味をもつコンゲンス・ニュートーゥの中央では、1683年にデンマークで初めての法典を発布し、貴族だけではなく一般の市民に国家機関で働くチャンスを与えたクリスチャン5世が勇敢な姿で馬に跨っています。

広場からは西方の市庁舎に向かって、ショッピングストリートが繋がっています。1キロ足らずの歩行者専用のストロイエの両側には、隙間なくショップが並んでいます。市庁舎を超えた正面は、1843年に創設されたチボリ公園です。ディズニーランドのモデルとなったと言われる世界屈指の遊園地には、開園以来3億人近い人が訪れています。



コペンハーゲンには商人の港という意味があります。ヨーロッパ諸国から多種多様の品々がコペンハーゲンの港に運ばれて来ます。船に山積みされた貨物を市内に効率的に運搬できるように、各所に運河が掘削されました。クリスチャン5世の時代にはコンゲンス・ニュートーゥの東端に突きささるように、幅30から40メートル、長さ約400メートルの水路が掘られ両岸は小さな港となったのです。ニューハウンには海外からの珍しい産物が盛んに荷揚げされ、活気が満ち溢れるようになりました。港を挟むように飲食店が店を構えるようになり、長い航海を終えた船乗りたちが船旅の疲れを癒すことができるようになったのです。

陸上交通の発達によってニューハウンの港の規模は縮小しましたが、現在では運河の北側の通りにカラフルな色彩の木造建築のレストランが立ち並ぶようになりました。夏季には路上にテーブル席が設けられ、運河を吹き抜ける爽やかな風を感じながら、大勢の人が食事を楽しんでいます。
アンデルセンはニューハウンを愛し3度の住み替えをしながら、このエリアで18年間暮らし続けました。レストラン街の一画には、アンデルセンが暮らした住居が残されています。特徴的な赤色の壁が目を引きます。運河周遊の観光船に乗り込めば、コペンハーゲン市内観光の他、人魚姫の姿を海側から眺めることもできます。


【データ】
施設名:ニューハウン Nyhavn
住所:1051 KØbenhavn
URL:http://www.nyhavn.com/