先日、ペンシルベニア州ヨークのダイナーに立ち寄る機会がありました。そのダイナーは、ヨークの町外れの、ルート30のゆらゆらとワイヤーがぶら下がる交差点の信号機を左折したところに建っています。15年ほど前に一度夕食の際に知り合いの年配のご夫婦と待ち合わせしたことがあるダイナーだったのですが、当時は別のオーナーだったのか「リンドン・ダイナ - (LYNDON DINER) - 朝食とカクテルとビール」と看板が変わっていました。1872年にロードアイランド州プロヴィデンスでウォルター・スコット(Walter Scott)が、車輪のついたフードワゴンでコーヒーやサンドイッチなどを売り出したのが、今日「ダイナー」と呼ばれる簡易食堂の始まりと言われていますが、ロードアイランド州には、30年代の終わりか40年代初頭に造られたのではと言われるスターリングの流線形車両(Streamliner)の「モダン・ダイナー(MODERN DINER)」という店舗が現存し、そこは今でも営業を続けており、1978年にアメリカ合衆国で初めて国家歴史登録財に登録されたのだそうです。 ダイナーと言われて私が真っ先に連想するのは、1916年から1963年にかけて「サタデー・イーブニング・ポスト(The Saturday Evening Post)」の表紙を飾った、亡きノーマン・ロックウェル(Norman Rockwell)のイラストのうちの一枚で1958年9月20日の表紙となった「ラン・アウェイ(Run Away)」です。数ある彼のダイナーのシリーズの中でも、カウンターに向かって右側のストゥールに座って上目遣いでおまわりさんを見つめる少年を、隣に座った体格の良いおまわりさんとカウンターの奥で煙草をふかしながら店のご主人が見守る場面のイラストはほのぼのとしていて、メニューが書かれた黒板、旧式のラジオ、パイが納められたガラスケース、コーヒーサーバーや透明のシュガー入れなどのキッチン雑貨からも、当時のアメリカの食文化の断片を知ることが出来るようで、あのイラストを見る度に情が沸きます。 ノーマン・ロックウェルによって描写されたダイナーのように、内装のどこかに比較的高価なステンレスや木のパネルが使用されてはいるけれど割とカジュアルな雰囲気のお店に入っても、また、天井が曲面でアールデコ調の装飾が施されカウンターも石材仕様という高級感溢れる店舗に入っても、レギュラー・コーヒーサーバーの取っ手が茶色でカフェインレス・コーヒーサーバーの方はオレンジ色だとか、ケチャップとマスタードが定番の筒形のケチャップ色とマスタード色のプラスティック製の容器に入れ替えられているとか、H社のジャンボサイズのボトルのまま食卓に上がってしまうとかいうダイナーならではの大衆食堂的な普遍性に出会うと、まるで昔馴染みと行きつけの蕎麦屋の暖簾を潜った直後に感じるような心地良さで寛げるのもダイナーの魅力です。 国道沿いのダイナーには24時間営業の店舗が多いので、夜通し長距離を走るトラックの運転手には便宜が良いものです。私も、90年代に中古の小さな愛車でカリフォルニアからヴァージニア州まで家族で大陸横断した時、大型トレーラーの運転手さながら殆どの食事をダイナーで済ませていました。ある夜夫と運転を交代した時のことです。助手席の夫はうたた寝を始め、後部座席の長女の横で空を指さしながら覚えたての「ムーン(moon)」を連発していた長男の「ムーン!」というはしゃぎ声も、いつの間にかぴたりと止んでしまいました。平坦な大平原で、道路脇の叢が右へ左へと黒くなびいている以外、バックミラーに映し出される車の影もなく、対向車すら向かってこない漆黒の闇に不気味に浮かび上がる国道を、私が運転する羽目に遭ってしまったのです。1キロ先も照らさない愛車のヘッドライトだけをよすがに、どうかこのエンジン音だけは止みませんように、と念じながら脇目も振らずに何時間運転したのでしょうか、やっと数百メートル先に町の輪郭が見え始め、やがて小さなダイナーの前に車が停まっているのを見とめると、私は心から胸をなでおろしました。 長い運転が続く大陸横断中には、いつでも緊張を伴うようなハプニングが続出し、途中で立ち寄るダイナーで、ふわふわのスクランブルエッグか目玉焼き、ハッシュブラウンにベーコンかソーセージ、バターと蜂蜜たっぷりの熱々のパンケーキを平らげて2杯目のコーヒーを飲み終える頃にようやく我に返り、ブースのビニールの長椅子の背もたれにもたれ掛かって、店内をぐるりと見まわす余裕が出てくるのでした。 アメリカのダイナーにまつわるおしゃべりを始めたら、それこそ深夜営業のダイナーで朝方まで語っても語りきれるものではないほど多くのエピソードがありますが、それはまたの機会に回すことにして、今から「リンドン」の店内を少しご案内することにしましょう。 入口の白板の「日曜日のスペシャル・メニュー」以外にも、朝食メニューの卵料理やパンケーキやワッフル、フレンチトーストだけでなく、ホットドッグやハンバーガー、ステーキ、チキン、サンドイッチ、ラップ、パニーニ、イタリアン、メキシカン、ギリシャ料理など、とにかくこのお店の品揃えは豊富で、お酒も嗜めるようになっています。今回は注文しませんでしたが、ガラスケースの中の焼き菓子の、ケーキやパイ、クッキーなどもおいしそうです。このお店に限らず、最近は、ハンバーガーやホットドッグ、ルーベンサンドイッチなど所謂ダイナーの定番料理以外にも国際色豊かなメニューやベジタリアンを意識したメニューを置いているところが増えています。 窓際の席に着くと再び、ダイナーが舞台の昔の映画にまつわるエピソードを思い出しました。7、8年前になるでしょうか。メリーランド州ボルチモアのフェルズポイントで、映画のロケ現場となったダイナーを探して走り回り、結局見つけられずに市内の図書館に立ち寄って調べてみたことがあったのです。図書館員の男性が丁寧に資料を印刷しながら、スティーヴ・グッテンバーグ(Steve Guttenberg)、ミッキー・ローク(Mickey Rourke)、ケヴィン・ベーコン(Kevin Bacon)などが出演した「ダイナー(Diner)」はバリー・レビンソン氏(Barry Levinson)の1982年の作品で、レビンソン監督がボルチモア出身であることや、監督の他の作品に関しても色々と教えてくれたのでした。 夫とダイナー談義に花を咲かせ、1955年のシェビー(1955 Chevrolet)に憧れている夫が、「でもダイナーには1957年のシェビー(1957 Chevrolet)の方が似合うかなあ。」なんて言っているところへ大きなお皿が次々と運ばれてきました。 夫はチリドッグを、私はリンドン・朝食スペシャルをオーダーしたのですが、スペシャルの方にはライ麦パンのトーストまで付いてきてしまいました。私は一口ずつ食べたらたちまちお腹がいっぱいになりそうな朝食のボリュームに閉口しつつも、その昔、腹ペコのまま夜を徹してアメリカ大陸の大平原を駆け抜けたフォード社の青いマーキュリー・トレーサーを思い出しながら、久々にアメリカン・ダイナーの味を噛みしめたのでした。 【データ】リンドン・ザ・ファイナー・ダイナー(LYNDON THE FINER DINER)ヨーク店(YORK)住所:1353 KENNETH ROAD YORK, PA 17404TEL:717-699-5523営業時間:24時間URL:http://www.lyndondiner.com/アクセス:http://www.lyndondiner.com/locations#loc-yorkランカスター店(LANCASTER)住所:1370 MANHEIM PIKE LANCASTER, PA 17601TEL:717-393-4878Eメール:info@lyndondiner.com営業時間:24時間URL:http://www.lyndondiner.com/アクセス:http://www.lyndondiner.com/locations#loc-lanc アメリカン・ダイナー博物館(American Diner Museum)メールアドレス:info@americandinermuseum.orgTEL:401-723-4342URL:http://www.americandinermuseum.org/history.phpモダーン・ダイナー(Modern Diner)住所:364 East Ave, Pawtucket, RI 02860TEL:401-726-8390営業時間:月~土曜日 6:00~14:00 日曜日 7:00~14:00URL:https://moderndinerri.com/■1978年、国家歴史登録財に登録。URL:https://www.nps.gov/state/ri/index.htm?program=all ノーマン・ロックウェル博物館(Norman Rockwell Museum)住所:9 Glendale Road Route 183P.O. Box 308 Stockbridge , MA 01262TEL:413-298-4100 x 221URL:http://www.nrm.org/ 舞林鳥 恵80年代後半から日米間を往復する暮らしを始め、現在DCから小一時間の田舎町で夫とのふたり暮らしを満喫しています。カントリーライフの醍醐味をHappyNest in Americaにて配信中。ワシントンDC周辺の観光名所や魅力的な穴場スポットの情報をお届けします。