今でも世界の各地で繰り返されている戦争は町の様子を大きく変えてしまいます。日本をはじめヨーロッパ諸国の都市は第二次世界大戦によって壊滅的な被害を受けました。ところがチェコの首都プラハはナチス・ドイツに占領されながらも、大きな戦火に晒されることがなく中世の街並みを残しています。旧市街ばかりではなく新市街にも歴史的な建造物が数多く建ち並んでいます。 プラハはボヘミア盆地の水を集め南から北に流れるヴルタヴァ川の東西に拓けました。水の流れで遮られた人々を結ぶため、神聖ローマ皇帝カレル4世は橋の建設を提案し、1402年にカレル橋が完成しました。川の西岸には13世紀半ばからマラー・ストラナと呼ばれる城下町が発展していたのです。街の中心は、聖ミクラーシュ教会が接するマラー・ストラナ広場です。 広場の北面からはネルドヴァ通りが繋がり、左右に土産物店やレストランが軒を連ねます。フラチャニの丘の側面で坂道となります。高低差100メートル足らずの斜面を上りつめると視界が開け、真正面にプラハ城が姿を見せてくれます。 プラハ城は、歴代のボヘミア王、神聖ローマ皇帝に続き現代のチェコ大統領が居城とし、千年を超える歴史をもっています。築城の歴史を辿ると9世紀まで遡ることができるようですが、丘の頂に大規模な宮殿の建設が始まったのは12世紀のことです。当初はロマネスク様式で建てられた城郭は、カレル4世の治世下の14世紀にゴシック様式に改築されました。敷地は東西約430メートル、南北は最大約140メートルにも及び、世界で最も大きな城です。 2人の巨漢が棍棒と剣を振りかざす巨人の門を潜り、大殿のエリアに入ると第1の中庭です。1614年に建造された正面のマティアーシュ門は、プラハでは最初のバロック建築と言われています。門を組み入れるように18世紀に王宮の増築を行ったのはマリア・テレジアです。中庭に設けられたポールにチェコの国旗がはためいているときは、現大統領が敷地内で政務を執っていることを表しています。 マティアーシュ門を抜けて東に進むと第2の中庭です。中央のバロック・スタイルのコール噴水、井戸、南東部の聖十字架礼拝堂などに18世紀の面影が感じられます。さらに東に進んで第3の中庭に出ると、神々しい聖ヴィート大聖堂の偉容に圧倒されます。高さ約97メートルの尖塔が空を突き刺すゴシック様式の教会です。1370年頃に南ファサードに描かれたモザイク壁画「最後の審判」も色褪せることがありません。 聖ヴィート大聖堂の起源は、プラハ城の創建とほぼ同時に建てられたシンプルな円筒型のロトゥンダでしたが、14世紀カレル4世の時代に拡張されたのです。巨大な建築の完成には膨大な時間を要し、改築増築を終えたのは1929年前後です。 プラハ城や聖ヴィート大聖堂の他にも、フラチャニの丘にはプラハの歴史を物語る施設が立ち並んでいまが、見落とすことができないのは丘からの眺望です。明るいオレンジ色の屋根で繋ぎ合わされた空間からは、中世にプラハに暮らした人々の息遣いが聞こえてくるかのようです。 プラハ城、聖ヴィート大聖堂は、プラハ歴史地区として1992年に世界遺産に登録されました。【データ】施設名:プラハ城 Pražský hradTel:224-373-368URL:https://www.hrad.cz/開館時間:【屋外】6:00〜22:00,【歴史的建造物】<4〜10月>9:00〜17:00,<11〜3月>9:00〜16:00休み:無休施設名:聖ヴィート教会 Katedrála svatého Víta住所:Metropolitní kapitula u sv. Víta v Praze, III. nádvoří 48/2, Pražský hrad, 119 01 Praha 1 - HradčanyTel:603-235-606URL:http://www.katedralasvatehovita.cz/cs開館時間:<月〜土曜日>9:00〜16:40,<日曜日>12:00〜16:40休み:無休 大林 等メーカ勤務の出張とプライベート旅行で渡航した国の数は49になります。各国での 異文化体験は数知れません。カルチャーショックを起爆剤に、各国の歴史や文化に 深く切り込むスタンスを崩すことなく持ち続けています。観光情報から社会、習 慣、宗教、グルメ、アート、民族芸能まで、ジャンルの垣根を超えた海外での経験 を、各種の雑誌やWebサイトなどで発信し続けています。Facebook: