
日本の首都東京の位置を地図で確認すると、南北に細長く繋がる列島のほぼ中央に位置しています。海に囲まれる島国であるため、日本の首都が他の国と接することはありえません。ところが、中欧で1993年に独立したスロヴァキアの首都ブラチスラヴァは、市域の西側ではオーストリア、南方はハンガリーと接しています。国防の面でリスクを背負うことになりかねませんが、隣国との交流が容易になりグローバル化が進むメリットを宿しているとも言えます。ウィーンからは約60キロでヨーロッパの首都間距離の中で最も短いのです。電車を使えば両都市は1時間前後で行き来することができるのです。

ブラチスラヴァ近郊はヨーロッパの大河ドナウの流れを利用して1世紀頃からケルト人やローマ人が移り住むようになりました。これに続きスラヴ系民族が移住し9世紀にはモラヴィア王国が建国されました。ドナウを見下ろす小高い丘の上に宮殿が建造され、ブラチスラヴァ城の原形ができあがりました。15世紀にはハンガリー王シギスムンドがゴシックスタイルに改築されましたが、16世紀になると四角に塔を施したルネサンス様式に姿を変え、現在見られる外観の基礎が整ったのです。

赤色のとんがり屋根を先端に備えた4つの塔がテーブルの足のように見えるため、ブラチスラヴァ城は「ひっくり返したテーブル」と呼ばれることもあります。幾何学的にシンブルな構造が安定感を産み出しています。小高い丘の上に建つ城塞は、旧市街のどこからでも眺めることができます。

自然の緑が溢れる丘陵の四方には宮殿に向かう遊歩道が整備されています。ドナウの川岸からも新橋の袂から散歩道が設けられています。左下に川の流れや、空飛ぶ円盤のような形をした展望タワーをもつ新橋を眺めながら、なだらかな坂道を登りつめると、ブラチスラヴァ城の正面です。宮廷の跡は現在、歴史博物館や音楽博物館として一般公開されています。




歴史博物館の数々の展示物を見ていると、オスマン・トルコの侵略に悩まされていた中世のヨーロッパが偲ばれます。ウィーンを拠点とするハプスブルク家にとって、ブラチスラヴァは喉元にもあたるロケーションです。ブラチスラヴァ城は、ヨーロッパ・キリスト教世界の最後の砦として重要な役割を担っていたと想像することができます。


1760年からは性別のために帝位には就くことのなかったマリア・テレジアが約20年間、居城としヨーロッパを治めました。櫓の真下にはブラチスラヴァとウィーンを繋ぐドナウが流れます。その先の西方は国境を越えオーストリアの国土が広がります。視線を南に移すと、市街地の先はハンガリーです。


【データ】
ブラチスラヴァ城 Bratislavský hrad
住所:Námestie Alexandra Dubčeka 1, 812 80 Bratislava 1
Tel:(02)5972-1111,
URL:http://www.bratislava-hrad.sk/
入場時間:<4〜9月>9:00〜20:00,<10〜3月>9:00〜18:00