子どもは1歳前後から絵描きを始めるようになります。絵具を持たせると画用紙ばかりではなく、床や壁にも絵を描いてしまいます。画家は決められたサイズのキャンバスを画布としますが、古代ナスカの人々は地表に巨大な絵を描きました。ナスカの地上絵は広く知られていますが、その周辺にも数多くの地上絵が発見されているのです。 ナスカの中心から車でパン・アメリカン・ハイウエイを約30分北に向かうとパルパと呼ばれる地域に入ります。ナスカは起伏のない乾ききった大平原ですが、パルパ地方には切り立った山の峰が繋がります。北東に聳えるアンデス山脈から流れ込んだ土砂が、浸食され小刻みな切れ目ができたのです。 パルパの山並みを一望できるところに、観測用のミラドールがポツンと立てられています。塔の最上部からは周囲の山肌に数々の地上絵を見ることができます。 パルパ地方に人々が生活を営んだのは紀元前800年頃と推定され、ナスカのパンパに地上絵が描かれる数百年前に遡るのです。ナスカで花開くアートのセンスはパルパで磨かれていたと考えることができるのです。互いに似通った2つの地上絵から相違点を見出そうとすると、ナスカでは幾何学的な図形や動物、植物の絵柄が数多いのに対して、パルパは人型の図案が多いことです。 ミラドールから正面右手には、4人のファミリーのような絵が描かれています。左から母親、父親、2人の子どものように見えます。茶目っ気をたっぷりな絵柄からは、人懐っこさや親しみが滲み出ています。家族の姿を残したいという思いは時を超えて共通のものかもしれませんが、複数の人物が一つの区画に描かれた地上絵はナスカ、パルパの全域の中でも極めて珍しいようです。 家族愛を感じさせる地上絵から左右の山の斜面は、まるで美術館の展示壁です。 4人家族の父親のような人物像が再び登場します。大きく目を見開き、冠を頭部に被ながら四方八方に光を発する姿は、パルパのアーティスト好みのモチーフなのでしょうか。太陽の化身がイメージされ威厳を感じますが、温かな微笑がこぼれ出ています。 豊な表現力からダンディーな人物を描くこともあったようです。山高帽を被った人はどこかへ旅立とうとしているのでしょうか。スリムな体つきに長い足の人物は、レストランで料理するシェフに見えなくもありませんが、個人的にはルネ・マグリットの絵画が思い起こされてなりません。 ナスカに訪れた人でナスカの地上絵を見逃す人はいません。ところが、パルパの地上絵を見ることなく立ち去る人は多いようです。それは、パルパへのアクセスがあまりよくないのです。熱帯の厳しい陽射しを受けながら歩いて行くことなどとてもできないし、路線バスもありません。今のところ、ナスカの町中の旅行社でオプショナルのツアーを申し込む以外に手はないようです。 大林 等メーカ勤務の出張とプライベート旅行で渡航した国の数は49になります。各国での 異文化体験は数知れません。カルチャーショックを起爆剤に、各国の歴史や文化に 深く切り込むスタンスを崩すことなく持ち続けています。観光情報から社会、習 慣、宗教、グルメ、アート、民族芸能まで、ジャンルの垣根を超えた海外での経験 を、各種の雑誌やWebサイトなどで発信し続けています。Facebook: