ジェーンには姉のカサンドラ・エリザベスの他に、6人の兄弟がいました。姉妹は生涯シングルだったため、彼らがジェーン達を実質的に養っていた事になります。 兄弟のうち2人は海軍で提督まで出世した、フランシスとチャールズ。だからジェーンの家にはこんな品々も展示されていました。 同じく兄弟であるエドワードは資産家の婿養子となったので、この家をジェーン・姉・母親3人が住めるようにと無償貸与。贅沢が出来るほどリッチではないものの、一応は使用人もいて重労働はせず暮らしていた中産階級のジェーンたち。午前中はピアノ演奏や小説書き、午後は裁縫や手芸に勤しむのが日課でした。 ジェーン達のお母さんのベッドには、こんな可愛らしいパッチワークのキルトが掛かっていたんですよ。 このパッチワークは服や家具に使われた布のハギレで出来ていて、つまり不用品のリサイクル。製作途中に材料のハギレが足らなくなってしまったジェーンは、エドワードの家に短期滞在していた姉へ宛てた手紙で、こんな文面をしたためています。「その家から不要な布をもらってくるのを忘れないでね。材料が足らなくなっちゃって、キルト作りが中断しているの・・・」 それほど裁縫と手芸は生活の中心だったので、大きくて立派なソーイングボックスもありました。 これはジェーンのベッド。母親のベッドとは違いキルトは掛かっていませんでしたが、天蓋が可愛らしいですよね。 庭で育てた植物は、布の染料として使われたものも多かったそうですよ。 経済的には兄弟に頼らざるを得ず、つましい暮らし。かといって中産階級の女性が外に出て働くのは、一家の恥として許されなかった時代でした。教養のある女性が趣味として本を著すのは良いとしても、それで商業活動をしたら「オースティン家の兄弟たちは母親や姉妹を養う甲斐性がない」と評価されてしまいます。ジェーンの書いた小説が匿名で「或る婦人著(By a Lady)」等として出版され、彼女の才能が存命中に高く評価されずに終わった理由も、そんな時代の背景があるからでした。その約40年後にはブロンテ姉妹が「嵐が丘」や「ジェーン・エア」を執筆し実名で出版されたのに、と思うと残念です。 少女時代に数年間の寄宿学校生活を送ったものの、生涯のほとんどを家で暮らしたジェーンとカサンドラ姉妹。自分のいる環境以外を体験する機会のなかったジェーンは、小説の登場人物たちに息吹を与えながら、自らも想像の世界で心躍らせていたに違いありません。ジェーンの家にあった資料リーフレット等の中に、こんな本も「ご自由にどうぞ」と置いてあったので、私も一冊もらってきました。 ジェーンの没後80年ほど経ってから出版された、1894年版「高慢と偏見」の挿絵集。19世紀後半から復活した彼女の人気は、こんな親しみやすい挿絵も一役かっていたのでしょうね。 古くはローレンス・オリヴィエ主演の映画から、BBCテレビで大ヒットしたコリン・ファース主演の連続ドラマなどの原作にもなり、今も愛され続ける小説を残したジェーン・オースティン。彼女の面影を垣間見ることのできる家に、いつか貴方も行ってみませんか?【データ】ジェーン・オースティン・ハウス(Jane Austen's House Museum)住所:Chawton, Alton, Hampshire, GU34 1SDTel:0142 083 262URL:http://www.jane-austens-house-museum.org.uk/ 小野 雅子ロンドン西郊外に住む会社員、職場はヒースロー空港周辺です。在英20年以上の経験値を発揮して、初めてイギリスへいらっしゃる方にも興味深く分かりやすいロンドン観光&生活ガイドとしてお役に立てれば…と思います。個人ブログ「ロンパラ!」はこちら♪