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塩サバという歴史的なご馳走 〜市場を飲み込んだ人造湖の水面を眺めて

   
八田 靖史
八田 靖史
 
仮面劇のタルチュム。国の重要無形文化財第69号にも指定される

韓国の中東部、慶尚北道に位置する安東(アンドン)には数多くの観光スポットがあります。まず有名なのが、朝鮮時代(1392〜1910年)に数多くの儒学者を輩出した河回村(ハフェマウル)。古い家並みがそのまま残っているのみならず、実際に儒学者の子孫たちが住んでいるとあって、文化的にも貴重な風習が多数残っています。両班(朝鮮時代の支配階級)家庭で行われる祖先祭祀だったり、民俗芸能として伝わるタルチュムという仮面劇だったり。朝鮮時代の歴史を感じるにはうってつけの場所です。

臨東(イムドン)地区へのダム建設で生まれた臨下湖(イマホ)

そんな安東には、食の歴史を感じさせるスポットもあります。一見するとなんの変哲もない湖に見えるかもしれませんが、ここではある有名な安東の郷土料理が誕生しました。というのもこの湖はダムの建設によって生まれた人造湖なのですが、1984年に着工するまでは多くの人が普通に生活をしていた地域でした。ダムの建設によって村が沈んだということになりますが、その中にあったのがチェッコリジャントと呼ばれる市場。そこで作られたのが、カンコドゥンオと呼ばれる塩サバです。

安東カンコドゥンオ。ほどよく塩気が効いて脂ものっている

安東という地域は内陸にあって海から離れており、現在でこそ流通の発達で新鮮な海産物も食べられるようになりましたが、それ以前はサバひとつとってもたいへん貴重でした。なにしろいちばん近い港からでも荷をかついで歩けば1泊2日。痛まないように塩を振る必要があったのですが、昔の人が賢かったのは、とれたてではなく熟成の進んだタイミングを見計らったんですね。安東を目指しつつ、途中のチェッコリジャントがちょうどの場所。ここで塩を振ることで、安東の中心地に着いたときにちょうどよい塩梅になっていたそうです。現在のカンコドゥンオもそのやり方を踏襲し、同様のタイミングで塩を振るのだとか。

安東チムタク。鶏肉と野菜の下には煮汁を吸った春雨が入っている

なお、先ほどのカンコドゥンオは河回村近くの食堂で食べたのですが、その「ユンガネチョングッチャン」は観光客にも地元客にも人気の店。カンコドゥンオのみならず、同じく安東名物であるチムタク(鶏肉と野菜の甘辛煮)も食べられますし……。

チョングッチャン。日本の納豆とまったく同じ香りが立ち上る

地元客から熱烈な支持を集めているチョングッチャン(韓国式の納豆汁)がまた見事。農業地域でもある安東は大豆の栽培も盛んに行われており、大粒の大豆がとれるんですよね。塩味を控えめにしているので、そのぶん大豆の風味が濃厚に感じられて後を引きます。

【データ】
店名:ユンガネチョングッチャン(윤가네청국장)
住所:慶尚北道安東市豊川面チプン路1791-7(佳谷里324-4)
住所:경상북도 안동시 풍천면 지풍로 1791-7(가곡리 324-4)
Tel:054-853-3989

韓国ではチゲ料理をどんぶりごはんと混ぜて食べる習慣がある

そのまま汁物として食べても美味しいですが、こうしてごはんの上にどろっとかけ、生野菜と一緒に混ぜて食べるのも定番。いわゆる味噌ビビンバのようになりますが、その香ばしい味わいでごはんがどんどん進みます。

【データ】
店名:ユンガネチョングッチャン(윤가네청국장)
住所:慶尚北道安東市豊川面チプン路1791-7(佳谷里324-4)
住所:경상북도 안동시 풍천면 지풍로 1791-7(가곡리 324-4)
Tel:054-853-3989

ホッチェサバプ。両班家庭の祭祀料理をもとに作られている

さて、もう1度カンコドゥンオの話に戻りまして、今度は「カチクモンチプ」という店のホッチェサバプ(祭祀風定食)。やはり安東の郷土料理で、この地域の祭祀膳に載る料理が少しずつ並んでいます。

ホッチェサバプのおかず。魚や肉、チヂミが盛り合わせてある

注目すべきはこの器。よく見えるよう先ほどの写真とは反対から撮りましたが、いちばん右下にあるのがカンコドゥンオです。1人前なので小さな切り身になっていますが、本来は丸ごとの状態でお供えします。そのほか、サメの切り身と、スケトウダラが牛肉と並んでおり、これらはどれも安東の祭祀膳には欠かせません。海沿いの地域ではもっと海産物も豪華なのですが、祭祀膳からも内陸の食文化が伝わってきます。

ホッチェサバプのごはんとナムルは醤油味のビビンバにして味わう

観光客にとって面白いのはナムルとごはんのセット。これを混ぜてビビンバのように味わうのですが、祭祀膳のルールとして唐辛子やニンニクを使わないというのがあります。霊的な存在である御先祖様(陰の性質を持つ)と、派手な刺激物(陽の性質を持つ)は反発してしまうという陰陽五行思想によるものですね。なので、コチュジャンを入れることなく、上にちらっと見えている薬味醤油で味わいます。これが意外にも素材の味をくっきり引き立てて、むしろ美味しかったりもするのです。別名、安東ビビンバ。

安東シッケ。汁の中に浮いている白いものは細かく切った大根

デザートがわりに安東式のシッケ(甘酒)も珍しい一品。ショウガと粉唐辛子、細かく角切りにした大根が入っており、甘くて、辛くて、ガリガリするという不思議な味わいなのですが、食後に飲むとずいぶんさっぱりとします。全国的に見るとかなり独特なアレンジなのですが、こういう他地域にない食文化が発達しているのも安東の特徴ですね。料理そのものだけでなく、背景の両班文化をも味わうのが安東における食事の楽しみ。カンコドゥンオとともに、いろいろ試してみてください。

【データ】
店名:カチクモンチプ(까치구멍집)
住所:慶尚北道安東市石洲路203(象牙洞513-1)
住所:경상북도 안동시 석주로 203(상아동 513-1)
Tel:054-821-1056

八田 靖史

八田 靖史
1999年より韓国に留学し、韓国料理の魅力にどっぷりとハマる。2001年より執筆活動を開始し、最近は講演や、企業のアドバイザー、グルメツアーのプロデュースも行う。著書に『魅力探求!韓国料理』(小学館)、『八田靖史と韓国全土で味わう 絶品!ぶっちぎり108料理』(三五館)ほか多数。ウェブサイト「韓食生活」を運営。2015年より慶尚北道栄州(ヨンジュ)市広報大使。

    

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