世界には無数の民族が、固有の文化に根差した生活を送りながら共存しています。似通った価値観をもった人々が同じエリアに暮らし社会を作り上げることが多いのですが、一つの地域に多数の民族が集まり国家を築くこともあります。東南アジアで、その代表格といえるのがマレーシアでしょう。
古くからマレー半島にはマレー系の人々が暮らしていました。文明の進歩にともなって造船技術を獲得すると、南北に細長く繋がる半島は海洋交通の要衝となり、マラッカ海峡には遠洋航海を終えた船が集まるようになったのです。13世紀にはアラブやインドの人々が盛んに訪れるようになり、15世紀の大航海時代に入ると、ポルトガル、オランダの商人がマラッカを拠点としました。
18世紀に半島の重要性を見出したのがイギリスです。太陽の沈まない国を実現した大英帝国において、マレー半島はスズとゴムの供給地として位置づけられたのです。豊富な資源を自国に持ち帰るための労働力が不足したため、スズの採掘から流通を担うため中国から、ゴムのプランテーションを促進するためにインドから数多くの移住者を募りました。イギリスの植民統治によって半島の多民族化が始まったのです。
第二次世界大戦後の1957年に独立を果たしたマレーシアは、植民地時代の民族構成をのみ込む形でスタートしたのです。現在では凡そ67%のマレー系、25%の中華系、7%インド系の民族がマレーシアを作っています。
3つのエスニック・グループは、各々異なる宗教、言語、生活習慣をもっています。マレーシアには多民族が共存できる社会を形成することが必須の条件となるのです。独立後の国家政策はマレー系住民を優遇するブミプトラを基軸とするものでした。イスラム教を国教、マレー語を国語と憲法で定められていますが、信教の自由が保障され、中国語やタミール語、英語での学校教育も許されています。各々の民族は長年培ってきたアイデンティティを維持し続けることができるのです。
政治的に同化させるのではなく多民族が混在する中で、お互いの価値観を認め合い共存できる社会、バンサ・マレーシアを目指しているのです。クアラルンプールばかりではなくどの都市にも、イスラム教のモスク、中華系の仏教寺院、インド系のヒンドゥー寺院がモザイクを織りなすかのように点在しています。
マレーシアは複雑な社会環境を内蔵していたため、周辺アジア諸国の経済発展からは少し遅れをとった面もありますが、1980年に首相に就任したマハティールの強力なリーダーシップをきっかけに飛躍的な経済成長を続けています。1998年にはクアラルンプールの中心に、452メートルで当時は世界一の高さを誇ったペトロナス・ツイン・タワーが完成しました。
首都クアラルンプールにはKLセントラルを中心に8つの鉄道網が市内の要所を繋ぎ、国内移動のためのバスのネットワークも整備されています。発達した交通網を利用すれば、民族、エリアを超えた交流が可能となります。
マレー系、中国系、インド系ばかりでなく、古くから深く交流したアラブ系の人々の姿をよく見かけることもマレーシアの大きな特徴です。マレーシアは東南アジアにおいて世界中の文化を体験することができる魅惑に満ち溢れた国なのです。