東京で若者が集まる渋谷の再開発が進んでいます。1934年から駅前に座り続けた忠犬ハチ公像もどこか別の場所に移動するようです。再開発が完了すれば渋谷きってのミーティング・スポットは移動することになるのでしょう。
クロアチアの首都ザグレブの市民が待合せ場所として利用するのが、イェラチッチ広場です。古くから多くの人々が集い、物々交換なども盛んに行われていました。中央駅の前から広がる新市街地と旧市街を繋ぐ位置にあるため、ザグレブに訪れた人は必ず通ることになります。
縦横、約300メートル、100メートルの空間は、17世紀頃から調和広場と呼ばれるようになりました。広場の中心に1886年、イェラチッチ総督の騎馬像が設置されると、イェラチッチ総督広場と呼ばれるようになりました。
イェラチッチは、1848年革命のときにウィーン・ハプスブルク家のフェルディナント1世の下で、ハンガリー革命を収めたことによってクロアチアの総督、バンに任ぜられました。任期中に奴隷制廃止などの政策を実行し、クロアチアの人々の尊敬を集めています。
ザグレブの人々が毎日眺めていた広場の騎馬像は、旧ユーゴスラヴィア時代の1947年には取り払われ、シンボルを失った広場の名前は共和国広場に変わりました。隣国のスロヴェニアに続き1991年にクロアチアが独立すると同時に、馬に跨ったイェラチッチの像が元の位置に戻り広場が復活したのです。戦地から戻ったイェラチッチが、水場に佇む美しい娘に声をかけたという言い伝えが残るマンドゥシェヴァツの泉も豊かな水を湛えています。
広場の四方は上品な色調の建物で囲まれ、独特の気品と解放感が漂っています。1階はカフェやレストラン、ショップとなっているところが多く、休憩や食事、買物を楽しむことができます。
ショップの中には、赤色の細やかな装飾が施された民族衣装や人形、リツィタルを売る店も揃っています。赤いハート形のリツィタルは、クロアチアにしかない見られないジンジャークッキーで、ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。大切な人へのプレゼントには、うってつけです。
広場から北東に向かうとカテドラルが聳えるカプトル地区、北西に緩やかな坂道を登ると中世にはグラデツと呼ばれた王国の城壁などが残るゴルニィ・グラード地区、そして南には新市街地が広がります。
イリツァ通り設けられた駅からトラムに乗車すれば、市内の各所に行くことができます。イェラチッチ広場はザグレブの心臓部にあり、観光の基点となっているのです。