新しい年を迎えると各地で様々な行事が行われています。音楽の都ウィーンでは元旦の夜に、毎年ニュー・イヤー・コンサートが開催されています。世界の楽壇をリードするウィーン・フィルが、ヨハン・シュトラウスのワルツを中心としたプログラムを演奏します。その最後に演奏するお決まりの作品が、“美しき青きドナウ”です。
ドナウはヨーロッパ大陸の心臓部を射抜くように、東から西に約2900メートルにわたってゆっくりと流れます。ドイツ南部のシュヴァルツヴァルトを源とし、オーストリア、スロバキア、ハンガリー、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ブルガリア、モルドバ、ウクライナの10の国々を潤し黒海に流れ込みます。川の両岸には数々の集落が形作られ、多彩な文化が育まれました。
ベオグラードもドナウの河岸に発展した都市です。セルビアの首都に発展した町はドナウばかりでなく、もう一つの大河の水の恵みを受けました。スロベニア北西のアルプス山脈から流れ出したサヴァは、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアのバルカン半島の北部を流れ、ベオグラードでドナウ川に注ぎ込んでいるのです。2つの大河が交わるポイントは交通の要衝となり、長い歴史の中で数多くの民族が往来を繰り返しました。
川の合流点の北東に小高い丘があり、現在ではカレメグダン公園として整備されています。ベオグラードの中心テラジエから石畳の遊歩道クネズ・ミハイロ通りを北西に向かうとカレメグダン公園に突き当たります。
川の流れを見下ろす高台は、戦略的に極めて重要な拠点となります。ローマ帝国時代の2世紀には第4軍団のフラウィア・フェリクスが、駐屯地カストルムの砦を建設しました。交通の便に恵まれた要地をめぐる様々な民族の争いが絶えることなく続いたのです。カレメグダンでは城塞の破壊と建築が繰り返されました。
18世紀にはオスマン・トルコとバルカン半島の覇権を争うウィーン・ハプスブルク家が、堅固な要塞を建設しました。ヨーロッパでも屈指の要塞は今でも公園の中に残っています。他にも、古代ローマ時代に築かれた壁、中世の時計塔、オスマン朝の霊廟の他、軍事博物館、数多くの記念碑、教会などが点在し、目まぐるしく揺れ動いたベオグラードの歴史を物語っています。
公園の西端の塁壁から外に出ると、崖の下には古代の遺跡が広がっています。遺構の先にはドナウとサヴァの豊な水が悠々と流れています。ベオグラードは東西ヨーロッパの文化の十字路にあることに気づかされます。2つの大河の合流点では長い歴史の中で、数えきれない人々の出会いと別れが繰り返されたことでしょう。