ヨーロッパに残る古城や宮殿は維持費が高額なため、所有者が変わる例も少なくありません。ルーマニアでは2014年5月にドラキュラ城の売却が話題を呼びました。トランシルバニアの中心都市ブラショフから数十キロ離れたカルパチア山脈の山中に建造されたブラン城です。ブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』ではドラキュラ伯爵の居城として描かれました。ところがドラキュラ伯爵こと、ヴラド・ツェペシュはこの城に住んだことはありませんでした。ドゥンボヴィツァ川に沿って発展し首都となったブカレストに居を構えていたのです。
ブカレスト市内を東西に流れドナウ川に注ぎ込むドゥンボヴィツァ川の北には、のどかな空気が漂う旧市街地が広がります。地下鉄やトロリーバスの統一広場駅から川を渡った数百メートル四方のエリアの佇まいは、物静かに歴史を語っているかのようです。
中世に作られた建築物や教会が点在する一画に、特徴的な施設が2つ残されています。19世紀からアルメニア商人が隊商宿として利用したハーヌル・マヌクと、1841年に創設された商店街のマッカ・ヴィッラクロス・パサージュです。いずれの施設にも一歩足を踏み入れると、異次元空間に彷徨い込んだような錯覚に襲われます。
旧市街地の最も南の石畳の道のフランツェツァ通りを歩いていると、兜をかぶり大きな目を見開く人物の視線が降り注いできます。「串刺し公」の異名をもつヴラド・ツェペシュです。1459年前後からヴラド3世としてワラキア公国を治めました。東方から侵略するオスマン・トルコと徹底的に抗戦したのです。歴代オスマン帝国スルタンの中でも特に勇猛果敢であったとされるメフメト2世でさえも、殺害されたトルコ兵が串刺しにされ、ずらりと並ぶ光景を目にして震え上がったと伝わります。
ヴラド3世が居城としたのがクルテア・ヴェケです。規模は大きくはなく、赤レンガで外観と内部にアーチを描く簡素な構造です。石室の中でヴラド3世はトルコとの戦いの戦略を練ったのでしょう。風化した石に囲まれる薄暗い地下室に、ドラキュラ伝説を重ね合わせると少し不気味に感じられてきます。
砦の東に隣接して1559年にルーマニア正教の教会が建造されました。ブカレストで最も古いクルテア・ヴェケ教会です。王宮のレンガの色に合わせるかのように、白色の壁に赤色のラインやアーチが描かれています。創建後400年以上も経過していますが、均整のとれた装飾がくっきりと残され、エレガントな雰囲気を漂わせています。