日本は古くから仏教の文化を育んできましたが、熱心な信者は多くはないようです。ところが、ミャンマーは国民全員が篤い信仰をしています。ミャンマーには隣国のタイと同じように、スリランカから上座部仏教が伝わりました。街中を歩いていると幾度となく袈裟を纏った僧侶の姿とすれ違います。
慈悲に満ちた表情で歩く僧侶は、若い頃には厳しい修行を受けたのです。ミャンマーの各地には若い僧侶が修行を行う施設が数多くあります。中でも最も大きな施設がバゴーにあるカカットワイン僧院です。
旧首都のヤンゴンから北東約70キロの位置に、13世紀から16世紀にかけてモン族の王都バゴーが築かれました。市内を南北に流れるバゴー川の東のマーケットを通り抜けて北に約500メートル向かえばカカットワイン僧院の正門が見えます。僧舎では常に1000人を超える修行僧が仏の道を究めているのです。
正門は開放されており、いつでも誰でも一心不乱に読経する若い僧の姿を見ることができます。一日の大半が修行に割かれてはいますが、日常生活も営んでいます。観光客にとって最も興味深いのは食事の様子です。7時30分と10時30分が食事時間です。厳しい仏道では僧侶は午後に食物を口にすることは許されません。朝に小食(しょうじき)、昼に中食(ちゅうじき)、夕は「食事に非ず」とされています。
1日2回の定刻になると銅鑼の音が施設内に響き渡ります。合図の音が聞こえると同時に四方八方から修行僧が食堂に繋がる廊下に集まってきます。瞬く間に同じ袈裟を身に着けた修行僧の長い列ができます。規律正しく整列し先を争う姿などどこにもありません。足音すら聞こえない静寂の中で、列は乱れることなく前進していきます。目の前を横切る僧侶の顔の形は変わっても、全体の構図や色彩に全く変化を認めることができません。
食堂の入口で托鉢によって集められたご飯を容器に入れてもらって中に入ります。普段はだだっ広いだけの空疎な空間は見る見るうちに、修行僧で埋め尽くされていきます。ご飯をよそう人や料理を作る人は全て近くに住んでいる人なのです。観光客でも給仕の手伝いをすることができます。
さて、注目の修行僧の料理はというと、地味な彩りでご馳走というものには程遠いものです。肉類や魚介類は一切使わない精進料理です。日本人の目には野菜カレーのように見えるメイン料理を自ら味わってみたくなるものではありません。質素な食事に耐えることも修行の一貫なのでしょう。グルメな楽しみはなくても、やはり食事の時間は息抜きの時間となります。円卓を囲む修行僧の表情は、読経のときよりは和らぎ、暫しのゆとりを感じているように見えます。