タイ・カンチャナブリはバンコクの北西に位置し、バスで3時間程度です。カンチャナブリに来た最大の理由、それは「戦場に架ける橋」の舞台となったクウェー川鉄橋を見ること…。
第二次世界大戦中、ビルマでの軍隊を維持するために物資の供給ラインが必要だった日本軍はタイのバンポンからビルマのタンビュザヤまで、ジャングルと山を通過する全長415kmの泰緬鉄道を建設することを決めます。この途中にある橋がクウェー川鉄橋です。
鉄道建設の際に約27万人のアジア人労働者と6万人を超えるオーストラリア人、イギリス人、オランダ人、アメリカ人の戦争捕虜からなる多国籍の労働力を集めました。
最終的に英軍の計画では6年の歳月を要するとしていたものをたった15か月でやってのけてしまった訳ですが、その際に6万人の戦争捕虜のうち、約20%にあたる1万2399人が死亡し、7~9万の市民労働者が死亡したと考えられています。これほどまでに死亡率が高かったのは、まともな食料の不足と不十分な医療施設が主な原因ですが、近衛(官人)と鉄道監督者による容赦ない扱いがあったからとも言われています。
と、パンフレットを抜粋して説明しましたが、この上で完成したのが泰緬鉄道です。
この機関車。写真の通り日本から持ち込まれたもので、実際に使われていたオリジナルだそうです。塗装などは現代風になってしまっているため、見た目は違ったものに見えます。
もう1台置いてあるこちらは戦後、タイが輸入したインド製の機関車。ただし、タイは石炭が取れなかったために意外と早い時期にディーゼル車に変えてしまったみたいです。
そしてこちらがクウェー川鉄橋。映画「戦場に架ける橋」の舞台となったことで一躍有名になった橋です。現在、残っている物は戦後に修復されたものですが…。
曲弦の部分はオリジナルで写真の部分が修復された部分!!橋には修復した際の印字が見て取れました。
橋の対岸には中国資本で建てられた慰霊のモニュメントがありますが、ここには遺骨は埋まってないみたいですね…。
本当の慰霊塔があるのは橋の手前にある第二次世界大戦博物館のお隣。ここに両軍の兵士、捕虜の遺骨がまとめて葬られているみたいです。(一節には日本軍が戦争に負けそうになった時にちゃんとした慰霊塔を作っとかないとヤバいという事で急ピッチで作らせたのだとか。)
第二次世界大戦博物館。こちらは中国系、しかも個人の手によって建てられたものらしく、置いてある機関車は「日本軍が戦時中に使っていたもの」となっていますが、正確にはインド製で戦後に使われていたもの…。更に鉄砲も刀も日本製のものなど1つもないみたいです。苦笑
カンチャナブリへはバンコクからツアーも出ているので、興味のある方はぜひ!!