ミステリー、ピラミッドの守護神と言われるスフィンクスへご案内します。
「今スフィンクスが鎮座しているあの場所に、小さな岩山があったのです。よし、じゃああの岩を掘って何かを作ろう、と。そうやって出来たのがあのスフィンクスです。但し、誰がいつ造ったのか、これもまたミステリーです。」
これまでの定説として、スフィンクスはカフラー王のピラミッドの守護神として造られ、その顔もカフラー王に似せて造られたと言われてきました。その理由として、スフィンクスの位置が、カフラー王(クフ王の息子)のピラミッドとその付属神殿を含むピラミッド・コンプレックスのそばである事が挙げられましたが、実はスフィンクスそのものに王の名前やそれを示唆する証拠は何も見つかっていません。寧ろ、スフィンクスはカフラー王の治世よりも古く、造られた順番としてはスフィンクスが先であり、カフラー王のピラミッド・コンプレックスはスフィンクスの位置に合わせて造られたとする説が今や有力になっています。
スフィンクスを間近に見るには、カフラー王の河岸神殿と呼ばれる、カフラー王のピラミッド・コンプレックスの一部を通り抜けます。河岸神殿と言うからには、当時はここまでナイル河が流れていたのでしょうか。
「その通り。あの石橋が見えますか。氾濫期には、ちょうどあのあたりまでナイル河の水が流れて来たと考えられているんですよ。ピラミッド建設に使われた石を近郊のヘルワン、トウーラから、また遠くはアスワンから運んだ際にも、ナイル河を船で運搬されたと考えられています。」
河岸神殿の内部はとてもシンプルな作りです。エジプトの他の大神殿にはファラオや神々の像が飾られ、壁や列柱もレリーフで埋め尽くされていますが、ここにはただ柱が並んでいるだけです。
「河岸神殿は、王のミイラを作る場所だったと考えられています。ミイラづくりの方法は先ほど申し上げたようにミステリーの一つですが、特に新王国時代の、保存状態の良いミイラの研究からかなり解明されてきました。まず左脇腹から内蔵を取り出します。心臓は出しませんでした。それは死後の審判で、秤にかけられる必要があったため、遺体に残しておいたようです。内蔵を取り出した後は天然ナトロン液に約70日間浸けて脱水します。その後、亜麻布を包帯のように全身に巻いて植物油や獣脂を混ぜた保存剤を塗ります。王や貴族のミイラとなると、皮膚の張りを保つためにあちこち詰め物をし、更に丁寧で細かな作業が加えられました。」
棺におさめたファラオの遺体は、参道を通ってピラミッドのそばに建てられた葬祭殿へ運ばれ、神官たちが王の来世での復活を祈る儀式を執り行ったと考えられています。この河岸神殿からは、大変貴重な遺物が発見されています。
「あのフェンスで囲まれた穴から、カフラー王の坐像が発見されました。エジプト考古学博物館で見られます。カフラー王の丹精な顔立ち、古代エジプト美術の傑作ですよ。」
アハメッド・ムスタファ
1976年生まれカイロ出身・カイロ大学文学部日本語文化学科卒。大学時代の論文テーマは『世界大戦が日本文学に与えた影響』主に安岡章太郎の著作を研究。1998年より日本語ガイドとして活躍中、1児の父。